なんでだぁぁぁ!

アキラが別れたそうオーラを醸してる。


振り回されることに疲れちゃったんだと思う。

職場でも上手くいってないらしいし・・・。


弱り目に祟り目って感じだよね。


今回も結構あたしの存在って邪魔なんだよね。



今日会ったけど、明らかにつまんなそう。

てか、ほとんど無言。



結局いつも通りあたしが喋り倒してしまった。

「アキラの話も聞くよ」とか言ったくせに。



やっぱあたしには恋愛とか向かないんだろうなぁ。

めちゃめちゃワガママだし、感情の起伏が激しすぎるし。

「そういうところ直さなきゃ」って思っても行動が伴ってない。



やっぱりあたしは人知れず山奥とかでひっそり生きていった方がいいんだろうな。

人間関係に疲れたというより、自分自身に疲れた。


何度も同じミスを犯すし、訳の分からないトラブルは呼び込むし。

あたしがいない方が社会(ごく限られたコミュニティ)が上手く機能すると思う。




幼い頃に陽性のストロークを十分に受けられなかったのが、

この病気の発端だったんだろう。


しかし過去は変えられない。

両親を憎んでも始まらない。

だれかのせいにしているうちは、決して治らないだろう。


ここ数年、あたしは陽性のストロークが満足に受けられず、

条件付のストロークで一時的に満足を得ようとしてきた。

ここ一年近くは一時的な満足感すらなかなか得られない状況に置かれている。

条件付ストロークを受け続けた人間は、陰性のストロークに走る。

「誰でもいいからかまって」な状態になってしまうのだ。

その結果判断力が落ち、色々な問題を抱え込むことになってしまう。


時にはわざと問題を起こす。


とにかくかまって。

条件付ではなく、陽性のストロークをあたしにちょうだい!

深層心理ではこんな風に叫んでいるのではないか。


通常職場で陽性のストロークが受けられることは少ない。

成果は条件付ストロークによって得るものであるし、

上司にミスを責められれば、それは陰性でしかない。


家に帰ってもあたしがいれば安らげない。

そんな中、アキラはついに限界を迎えてしまったらしい。

とにかく陰性のストローク集めをしているのだろう。

無駄に喧嘩を吹っかけてきたり、アキラの得意とする心理戦へともつれこむことはしばしばだ。


それもこれもあたしがアキラに陰性のストロークばかり投げかけていたからだろう。


本来ならあたしが陽性のストロークを与えなければならない立場なのに、

自分自身のことで精一杯なため、アキラからのサインを見逃してしまっていた。



ホントに彼女失格だ。


theme : 壊れそうな心
genre : 心と身体

心の穴

3年前に大切な人と別れてから、あたしの心にはぽっかりと穴が開いたままだ。



とにかく彼との関係は居心地が良かった。


ずっと一緒にいるんだと思ってた。




それ以来、損得勘定抜きで恋愛が出来なくなった。



年のせいもあるのかもしれない。


けれど「燃え上がるような恋」ってないな。


何もかも忘れて彼のことだけを考えることなんて、もう二度と出来ないのかもしれない。




一度だけ「この人とならずっと一緒にいたい」と思う人に出会った。


でもその人には奥さんも子供もいた。




不倫に未来がないのは、それまでの経験で痛いほど知っていた。


けれど、なぜかその彼にはのめり込んでしまったんだ。




最後のワガママを聞いてくれて、彼はあたしの前から姿を消した。







アキラがあたしのことを、ずごく想ってくれているのは分かる。


たまに「本当に愛してるならそんなことしないでしょ」ってことに遭遇するけど、

それもアキラのいいところだって捉えてるから。

二人の間に問題があるとすれば、あまりに似すぎていること。

すでに同属嫌悪気味だから。



過去にはこだわらない人間なはずなのに、恋愛だけは・・・・・・不得意だ。

theme : 不安定な心
genre : 心と身体

そんな自分

やっとこさ家に帰ってきたよぉ!!

とはいってもまだ外泊。

この外泊が上手くいったら退院という予定です。



入院中に「自分を見つめなおす」ということを結構言われたんだけど、
自分自身であーだこーだ深く悩んだりはしなかったです。


なんだろ、自然と自分の弱さを受け入れることが出来るようになったというか。



やっぱり入院するくらいだから、人よりもちょっと抱えてることが大きい。

本人としては人よりもかなり大きく感じていることが多いけれども。

あたしもそうだった。

というか、今でも「普通には生きていくのは難しい」と感じている。



「普通ってなんなのさ」と聞かれると一番困るんだけどもね…。



あたしとしては

「人と最低限のコミュニケーションを取ることが出来て、社会にある程度馴染めること」

だと思ってる。


あたしは最低限のコミュニケーションも難しい。


自分自身で拒否ってしまうこともあるし、相手から拒否られることも多い。



となると、社会に馴染むってことが難しくなってくる。



要するに自己チューだから、奇をてらう世の中に入り込むのは難しい。

自分に素直になってみたら、きっと周りには誰もいなくなる。

それが分かってるから、今までずっと仮面を被ってやってきたわけだけど。

でもそろそろそれもきついなって…。




周りのことを考えていると、自分が死んでしまう。

かといって自分を押さえ込みすぎると、暴発する。


そこのコントロールが、これからのあたしの課題だと思っている。

theme : 思うこと
genre : 学問・文化・芸術

くだらない

恋愛なんてくだらない。


そう思うときがある。



特に今の若いコが思っている「相手を束縛する権利」とかいうものがバカバカしい。


いつの世も束縛する権利など誰にも無い。

魂はいつの世においても自由だからだ。



相手を束縛することができたとしても、それは肉体的なものにおいてのみ。


それで満足するというのなら、いくらでもするがいい。




もうそんな低俗な恋愛には飽きた。




私が今求めているのは、恋愛のパートナーではない。

人生のパートナー。


かけがえのない存在でありながらも、お互いの自由を最大限尊重する関係。



魂と魂の結びつきさえあれば、どこにいてもなにをしていても興味はない。


それは相手に対しての興味がないということではない。

相手を愛し、敬っているからこそ、相手の自由を奪うべきではないと考えるからだ。



人生の中でたった一人のひとだけを愛し続けるなど、時間の無駄だと思っている。


なぜ一人のみに絞る必要がある?


結婚において誠意を見せることは大事な行為だと思う。

相手を一生愛し続けると。


ではなぜ、他の人を愛してしまったときに別れなければならないのか。




同時進行での愛は存在し得ない、という考えの持ち主なら仕方ない。

だが、自分のことを形が変わっても愛し続けていてくれるのであれば、

わざわざ別れる必要などないのではないかと思っている。




同時に別の人を愛することは可能だ。




愛は人を試す。

人も愛を試す。



その答えなど、人それぞれで仕方がない。



愛に答えなど存在し得ないのだから。

生きるということ

小学校高学年の頃から「生きる」という意味について考えてきた。



3,4年生のときにいじめを受け、生きている意味が分からなくなった。

その頃は読書以外に楽しみがなかったせいもあって、物事を深く考える子供になってしまっていたようだ。

本を読んで得た知識と、自分の知らない世界に触れる楽しみ。

それだけを生き甲斐としていたような気がする。





ことあるごとに「死にたい」と思っていた。

それは今でも変わらない。


今変わったことといえば、自分が死んだら悲しんでくれる人がいるかもしれない、と思えるようになったことだ。





死にたいと思うということは、現状が辛く、その状況を回避も打破も出来ないという究極の状況であるといえるだろう。

冷静に考えればいくらでも手段はあるのかもしれないが、一つのことを集中して考えると、人間は周りが見えなくなりがちだ。



特に私は長女だったため、しっかりしなくてはという思いが人一倍強かった。

誰にも頼ってはいけない。

人に泣き言や愚痴をこぼしてはいけない。

周りに迷惑を掛けるなどもってのほかだ・・・と。


だから辛い状況を一人で乗り切ろうとし、どうにもならないところまできて初めて人に言うことになる。


最初の段階で誰かに相談でもしていれば、そんな大事にはならなかったはずなのに。

それでも「心配を掛けまい」として自分ひとりで抱え込んでしまう。


私がよく大問題を引っさげているのは、この性格のせいもあると思っている。



一番辛いとき、人は他人にその辛さを訴えることが出来ない。

死を意識するほど辛いときに、人に頼るという考えはきれいさっぱり抜け落ちている。

「自分の辛さは、人に決して理解など出来るものではない」という考えに凝り固まる。


その考えは全く間違ってはいない。

人間は一人一人個々の存在である。

他人の心情を理解しようとしても、絶対に無理なのだ。

普段から「この人は自分のことを理解してくれている」と思えている相手でさえ、相手が本当は何を考えているなど知る術はない。

もしかしたら「理解しているフリ」をしているだけなのかもしれないのに、普段はそんな考えを持つことはない。


ところが究極の状態にまで追いやられると人は疑心暗鬼に掛かる。

誰もが信用できない。

自分以外のことは考えられなくなる。

自分が世界で一番不幸だ、と思い込む。


リアルタイムでどの人が一番不幸かという投票でもやらない限り、自分が一番不幸かなど分からない。

それに不幸かどうかなど主観の問題なので、ある人にとっては貧困が不幸かもしれない。ある人にとっては暴力が不幸かもしれない。

その世の中の不幸というものを寄せ集めたとしても、本人にとってそれが不幸だという考えに至らなければ、それは全く持って不幸ではないということだ。



なんだかどんどん横道に逸れてしまったが、死を予感したとき。

もちろんこれは自殺のことだが。

その胸中を人に言えないというのは、プライドもあるだろう。死への恐怖もあるだろう。そして守るべきものを失う怖さ。様々な要因が絡んで、人にはその胸中をさらすことが出来ない。



だが、常に死を意識して生きている私からすると最後の砦は「自己の否定の恐怖」といえる。


そもそも自殺しようと思い立つ発端は「自己理解がされない」ということにあると思う。

借金苦を自殺の原因とする人がいたとする。

不真面目に生きてきて借金を重ねたなら、きっと自責の念などは起こらないだろう。

真面目に生きてきたからこそ、借金の取立てや返済が滞っていることに、罪悪感や恐怖心を覚える。

そうなってくると、そこから逃げるしかない。

物理的に海外へでも逃げれば、借金取りは追ってこないし、そのうち返済を迫られることなどなくなるだろう。

それに債務整理手続きを取ることも出来るかもしれない。

それさえ出来ないので困っているのだ。

残された道は一つ。

「自殺」だ。

違法金利での貸付を行っているところに対して、法的手段を取ることは可能なのだが、精神的に参っていてそれどころではない。

一番の近道はやはり「自殺」。

どうしても考えは死ぬ方向に向く。



そこで自分の人生を振り返ってみると「あのときこうしていればよかった」「あそこでこんなことをしなければ」そんな後悔ばかり。

だが良く考えてみたら、どうして自分ばかりがこんなに辛い目に遭っているんだろう・・・。

ふとそんな考えが頭をよぎる。



「この辛さを誰もわかってくれない」



それだったら、誰に話しても無駄だ。

いっそ一思いに死んでしまった方が楽になれる。


こうして「自己理解がされない」と思い込むことにより、さらに否定されることを拒む。



これ以上傷つくのはごめんだ。



そんな風にして人は自殺するのでは・・・と最近思っている。

プロフィール

ぷー太朗

Author:ぷー太朗
ボーダーと格闘中。いろんなことを乗り越えて、幸せを追い求めています。


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